(聞き手)
お
客様と従業員の方を外に誘導したのですか。
(佐藤様)
一度外に出て、地震が収まったらまた中に戻って来てといった繰り返しをしていました。
(聞き手)
その時の皆さんの様子は、どのようなものだったのでしょうか。
(佐藤様)
一度家に帰りたいというお
客様がとても多かったです。後は、この店が営業出来るのか聞かれるお
客様が沢山おりました。今まで停電などは経験していましたが、外の状況を見ると信号が止まって渋滞していましたし、産業道路は陥没していましたので、その日の復旧は難しいと思いました。それをお
客様に説明して、そのまま帰られる方もいらっしゃいましたし、ちょっと様子を見て残る方もいらっしゃいました。
(聞き手)
津波がその後来ましたが、その時の様子はどうでしたか。また、津波が来るという事を、どのように知りましたか。
(佐藤様)
震災当日は、事情を説明してから店を閉め、お
客様は従業員と一緒に外で待機してもらいました。
ちょうどラジオを持っていたので、そこから津波が来るという情報を得ました。
しかし、津波が本当に来るのか疑問で、あまり焦りはありませんでした。
ただ、当時の店長代理から念の為、高い場所へ上がった方がいいだろうと指示がありましたので、皆で立体駐車場の
屋上に上がることにしました。
屋上からは、産業道路側のフェリー埠頭が見えました。
その方角を見ていたら、ちょうど、大きなトラックがコンビニ付近を走っているところが見えました。
その時、普通ならUターンして戻るところを車がバックして戻る姿が見えたので、少し奇妙だと思っていました。
よく見てみると車がバックしている訳ではなくて、流されて戻って来ていたのです。
そこで、初めて津波が来るという事を自覚しました。立体駐車場の車の中にいるお
客様は全く気が付いていないので、皆で危険が迫っていると叫びました。駐車場の1階は危険なので、車で上がるように誘導して
避難させました。
(聞き手)
その後、お店にも津波が来たと思いますが、その時の様子はいかがでしたか。
(佐藤様)
実際に津波が来た時は、皆で立体駐車場の
屋上からその様子を見ていました。渋滞している車や、逃げられずにいる人、何人か走って逃げている人も見ました。赤ん坊を連れている女性もいたのですが、目の当たりにしていながら、助けることも出来ませんでした。他の従業員もそんな光景を見ていたと思いますが、経験したこともない事で誰も声を出せないような状況でした。
(聞き手)
その日は、立体駐車場の
屋上にとどまっていたのでしょうか。
(佐藤様)
そうですね。立体駐車場も水が引いていないので、そのまま残るしかありませんでした。その後、駐車場の3階に皆を集めました。お
客様の中には車で上がって来られた方もいらっしゃったので、その人たちにお願いして、車の中にいれていただき、水に浸かったお
客様たちに暖を取らせて頂きました。交互に暖を取っていましたが、水が引くと、その他の方たちも集まって来ました。暖房が足りなくなってしまったので、急遽、たき火をして暖を取るなど工夫しておりました。
翌朝の5時頃までそこで待機していたら、自衛隊の方が救助に来てくださいました。
(聞き手)
震災前の備えや対策は、どのようなものだったのでしょうか。
(山田様)
私は北海道の根室に居ましたが、そこも地震が頻繁にありました。そのため、役職者から従業員への
連絡網を作っていました。しかし、
備蓄していた物資はありませんでしたし、行政との繋がりもありませんでした。
(聞き手)
東日本大震災以前に、何かしらの震災を経験した事はございますか。
(山田様)
いいえ。しかし、根室も30年以内に、震度5~7くらいの地震が起こるのではないかと言われていたので、いつでも警戒はしていました。しかし、実際に災害が起きた時にどのように行動すればいいのかなど、そこまでは考えていませんでした。